私にとっての南極 -新発電棟と共に-(2007年3月1日発行「極地84」掲載)

 私が初めて観測隊へ参加したのは、「しらせ」処女航海の年となった第25次隊(夏隊)である。

 

 1981年初めに、機械設備工事技術者として新発電棟建設計画へ参画してから早や四半世紀が経ち、「しらせ」も来年の49次観測協力行動を最後にその任務を終えようとしていることを思うと、これまでの道程には感慨深いものがある。

 

 新発電棟は、基礎工事(23次隊)・建屋工事(24次隊)・設備工事(25次隊)の3期にわたって建設が進められ、その発電システム及び余剰熱回収システムは25次隊から運用が開始された。新発電棟完成による電力事情と生活環境の改善は、まさに「しらせ」時代の幕開けを象徴する出来事であった。

また、新発電棟の配管設備には、昭和基地での作業特性に配慮した「柔構造プレハブ配管工法」が全面的に導入され、大規模化する夏期建設作業での工事期間の短縮と施工品質均一化の実現に寄与している。

 

 昭和基地のディーゼルエンジンCo-Gen(熱電併給)設備は、26次隊以降も様々な改修や発電装置本体の更新(37次隊・40次隊)などを経て現在に至っており、居住棟ごとの水洗トイレ設置や温水床暖房など各種設備の充実には目を見張るものがある。

また、その他にも環境保全への取り組みの一つとして43次隊から敷設が進められてきた「見晴らし岩貯油所~発電棟間・燃料移送パイプライン(二重管方式)」も完成が間近である。

これらの設営部門事業計画にエンジニアとして今日まで携わって来られたこと、そして2度の越冬隊と3度の夏隊に参加させていただいたことを関係者の方々に心から感謝すると共に、これまでの経験とノウハウを基に南極観測事業に関わる仕事を今後も続けていきたいと願っている。

 

 参加した隊次ごとに仲間との想い出は尽きないが、紙面の都合から25次隊へ参加するまでの経緯と25次隊での印象深い出来事について少し振り返ってみたい。

 

 1981年初め、23次隊での第1期・基礎工事の準備に合わせた発電機基礎や配管配線用ピット築造の為のレイアウト設計と配管配線ピット金物の設計を担当するようになった私は、25歳になったばかりの若造であった。設計に当たっては、国立極地研究所・観測協力室の竹内係長(当時)のもとへ足繁く通って御指導を受けたが、当時はCADという便利なものもなく、図面の訂正や書き直しに夜遅くまでドラフターに向かっていたことが懐かしく思い出される。

 

 翌1982年9月には24次隊による新発電棟建屋仮組みが行われて、設備設計も本格化していくなか、親会社では25次越冬隊員候補者の社内公募が話題に上るようになっていた。

しかし、私自身は「系列会社所属の設備設計担当者には関係の無いこと」と特に気にも留めてはいなかったが、観測協力室・竹内係長の『設備の内容は設計者の貴方が一番よく分かっている筈だから、貴方が行って作って貰いたい。』という一言で、急遽夏隊員候補者となることが決まった。

 

■夏作業■

 初めて乗ったヘリコプターの感激と赤茶けて荒廃した東オングル島の風景。山奥の工事現場に騙されて連れて来られたような錯覚を覚えた。

「働いて・食べて・寝て・働いて」の毎日で、残業を終えて夏宿へ戻ってホッとするのはいつも午後11時頃。それでも夏宿から新発電棟へ通勤する途中、峠の茶屋へ続く道端の残雪をゴム長で蹴飛ばす元気はあったし、唯一の休みだった元旦に東オングル島ハイキングへも勇んで出かけたから、若さもさることながら、全てのことが新鮮に感じられていたのだと思う。

 

■みずほ基地見学■

 竹内さんの御配慮で、日帰りの基地設備見学が実現した。セスナでの往復である。

既に25次隊のメンバーが活動を始めており、一通り基地を案内してもらったところで『風呂に入って帰れ』ということになった。時間を気にしながら、みずほ温泉では定番の「氷を抱えた入浴シーン」を記念に撮影。みずほ基地は27次隊で閉鎖されたので、これが最初で最後の経験となった。

 

■昭和基地最終便■

 2月1日、発電システムの稼動を見ぬままに後ろ髪を引かれる思いで基地を後にすることになった。ひと夏を過ごしたオレンジ色のヤッケはボロ布同然だった。見かねた装備担当者が『これはセール・ロンダーネのオペレーションに使ってくれ。だけど、しらせへはボロボロのまま帰るのがリンちゃんらしいよ。』と言って、替えのヤッケを差し出してくれたのには目頭が熱くなった。

 

■セール・ロンダーネ地域予察■

 埃舞う赤茶けた工事現場から戻ってきて1週間も経たないうちに、白い大陸の上に立つことになった。

まず、L0で2台のSM40を組み立てて、30マイル地点へ移動。ブリザードの中、雪上車隊の6名だけで輸送拠点小屋を建設したあと、一路ロムナエス山を目指してルート工作を行いながら、観測拠点候補地であるシール岩へ到着。ここで、先行していたスノーモービル隊とのメンバー交代が行われ、今度は地学調査のお手伝いをすることになった。サスツルギ帯や裸氷帯を通って辿り着いたアウストカンパネ・ブラットニーパネ山塊の美しさ。そびえ立つ高さ数百メートルの大岩壁、山塊の間を流れる氷河。地球とは別の星にやってきたような錯覚にとらわれた。

 

■発電システム稼動■

 昭和基地から『新発電棟システムが送電を開始!』の知らせ。3月8日、モーリシャスへ向かってインド洋を航行中のことだった。出来るなら、自分の目でその瞬間を見届けたかった。唯一の心残りではあったが、ようやく一仕事終えた実感が湧いてきてホッとしたのも事実であった。


 初めて参加した25次隊では短い夏期間に様々なことを経験させていただいたと思う。そして、その経験が次に繋がっていって、今の私があると実感している。機会があれば、もう一度行ってみたいと切に願っている。

 

(2006.11.6)